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| a sight of Kesen38 |
あだりほどり
気仙・辺辺の四季
弁慶の足跡
「判官びいき」と言う言葉がある。
今から八〇〇年ほど前、奥州藤原氏滅亡のカギを握った男、源義経が兄・頼朝の追討ちをかわし、平泉を脱出して北方に逃れたいう伝説は「義経北行ルート」となり、この気仙地方の地にもその“足跡”が残されている。
北行ルートをたどれば、大東町、江刺市を経て住田町種山、判官山を越え、世田米、上有住、赤羽根へと東進。
遠野市より大槌町、宮古市と三陸海岸を北上し、青森竜飛岬から海路、北海道へと向かう。
英雄不滅願望は、壮大な義経ギンギスカン説さえ生み出す。
さて、北行ルートの中でも種山の姥石峠から赤羽峠までの気仙路はとりわけ苦難を極めた。
義経主従は山伝いに急勾配の崖を草や木につかまりながらよじ登った。
ちょうど上有住の葉山めがね橋あたり。
この時、義経が手を」かけた松を「判官手掛けの松」といい同じく橋のたもとに残る。
「弁慶の足跡」は、五葉川を渡ろうとした弁慶がつけたものといわれる。
その足跡は、川岸の岩場に今でもクッキリ残っていた。
大きさは、つま先からカカトまで1.5メートルはあろうか。
ボコボコ開いている穴の一つが侵食を繰り返し、ちょうど足跡の形に見える。
岩盤に小石と流水がつくった自然の造形美だ。
種山には人の形をした珍しい天然石のご神体があると聞いた。
追っ手を逃れた義経主従が老婆に「逃げ道を教えたら石にするぞ」と言い残した。
白状した老婆が石になったという姥石伝説に由来する。
義経は、北行ルートとともにわれわれの心の中に今でも生き続けている。
日本人の作り上げた希有の大ロマンの足跡を、美しい岩手路を歩きながら訪ねてみるのも一考。
懐かしい心の古里にあえるかもしれない。
著作 株式会社東海新報社
0192−27−1000
FAX 0192−27−2154
Dr 大谷俊彦
イラスト 庄司暁子
デザイン 佐藤千香子
2000/2/26