辺辺
a sight of Kesen45

            あだりほどり
   気仙・辺辺の四季

         

   火縄の里


気仙が誇る三陸沿岸屈指の霊峰・五葉山(1,351メートル)は藩政時代、仙台藩直轄の「御用山」として手厚く保護されていた。
ここから産出される檜(ひのき)は、御用材として重用されたほか、檜皮(ひわだ)は、当時の鉄砲にはなくてはならない火縄の原料となった。
古い記録によれば、ここから藩に献納された火縄は年間一万四千ひろ(一ひろは約1.5メートル)。
延べで二十一キロメートル、ちょうどJR盛駅から陸前高田駅までの距離に匹敵する。
この規模の献納は約百年にわたって続いたとされ歴史家は、「五葉山は全国一の火縄の産地」と太鼓判を押している。鉄砲隊員
五葉山の古名は「檜山(ひやま)」と呼ばれ今でも住田町上有住に檜山の地名が残る。
今は12戸の小集落だが、かつて産金や林業を生業に、百戸が山麓にひしめき火縄の里をつくっていた。
鉄砲研究家が日本の火縄銃を論ずる時三ヵ所を最重要地点としている。
ポルトガル人によって鉄砲が伝来した「種子島」。
約三千丁の鉄砲が使われた「長篠の戦いの地」。
そして、全国一の火縄の生産地の「五葉山」だ。
徳川三代を震撼させた巨大鉄砲藩仙台藩祖・伊達政宗の国力を誇示した一万丁の火縄銃を支えたのが、この檜山だった。
幸いなことに天下泰平の世にあってその砲列は一度も火を吹くことはなかった。
その意味では火縄と火縄銃こそは、まぎれもなく平和な時代の象徴であったともいえるかもしれない。







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2000/9/3



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