辺辺
a sight of Kesen60

           
   

         

  


平泉の金色堂に代表される藤原文化を支えたのは気仙(ケセン)地方の山々から産出する豊富な金であったと言われている。サンタマリア号
その噂はマルコ・ポーロの「東方見聞録」によってヨーロッパに広くもたらされコロンブスをはじめとする大航海時代の英雄達が黄金ロマンを求めて大海原にこぎ出した。
もし、あのサンタマリァ号がアメリカを発見しなかったらコロンブスはきっと黄金の国ケセンにたどり着いたに違いない。
探検家のセバスチャン・ビスカイノはイスパニアの女王から金銀島探査使命を受けはるばる大船渡までやって来た。
大きな入り江には良好な湾がありビスカイノはサン・アンドレスと名付けた。
ところが周囲の山々は金山だらけで。
ビスカイノが探し求めていた金銀島はやはりこのケセンだったのだ。
そんなケセンの歴史を物語るようにところどころで「金をみつけた」という記録が残る。
住田町世田米の大渡橋下流の気仙川では昭和51年に二十九、四グラムの金塊が川底で見つかった。
同じ場所で明治時代にも二十五匁(九十三グラム)の金塊を拾った村人がいる。
平泉の金色堂を修復した時金含有率が千年前のそれとほぼ同じだったという理由でケセン産の金が使われている。
やっぱり、黄金の国はケセンだった。
















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イラスト  庄司暁子
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2001/12/9



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