辺辺

a sight of Kesen76

           
   

         

         


住田町世田米に小府金(こふがね)という地名がある。
これは古い時代の産金に関係していると地元に伝わる。
今から五百年前の天正年間、奥州の豪族・葛西氏が滅亡した。
家臣だった横沢兵部左衛門頼綱は、一族とともに小府金に落ち延びてきた。
何代目の頃か、横沢屋敷の前にある川原でたいへん珍しい石を見つけ、これを庭石として朝夕眺めていた。
この石には大判・小判に似た斑点があり、あたかも石中に黄金を埋蔵した形をしていたので、誰言うことなく小判石と呼ぶようになった。
小判石の噂(うわさ)はしだいに広がり、はるばる遠方から見に訪れる人も増え「この石はまさしく家運の開ける兆しだ」と、羨望の声がしきりだったという。
「先祖は葛西氏の金山奉行をつとめるなど、産金に関係が深かったようです」と話すのは、頼綱から数えちょうど二十代目の横沢孝雄さん(75)。
小府金金山と合地沢(がっちざわ)金山はその昔、横沢家の先祖が採掘していた。
小判石の由来書は、今でも掛け軸にして大切に保存している。
専門家によりと、小判石の正体は海百合(うみゆり)の化石。
二〜三億年年前、この辺り一帯は海の底だった。
横沢家の屋敷も変わったが、小判石は現在の屋敷の入口に置いてあるので、誰でも「お宝」を拝むことができる。











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Dr    大谷俊彦
イラスト  庄司暁子
デザイン 佐藤千香子

2003/4/6


OFUNATO SAITOSEIKA