辺辺

a sight of Kesen90

           
   

         

         


住田町世田米の先人に、大股の“厳窟王”と呼ばれた与一(よいち)翁がいる。
中井の住人で農夫をしていた。
江戸時代の中頃、宝暦と天明年間の二回にわたって、大股川沿いの岩場の難所を切り通した人といわれている。
昔の江刺街道は、川の近くではなく山の上を通ることが多かった。
せっかく道路をつくっても洪水で流されてしまうからだ。
だから、大船渡や高田方面から姥石峠(種山)を越える旅人は、小股からいったん荷沢峠寄りの「畷畑(うめはた)」に抜け、ここから山に分け入り、沢伝いに大股に出るコースをたどった。
与一翁は七年余の歳月をかけて岩肌をコツコツ削り、人馬の通れる道にしたという。
これで山回りを強いられていた旅人は、大幅な時間短縮が可能となった。
一身を投じて道の開削にあたり、旅人の難儀を救った話は、地元の誇りとして長く語りつがれている。
開削した辺りは今、三つのトンネルと二つの橋梁によって直線で結ばれ、アッという間に小股から大股に抜け出ることができる。
旧大股小学校の体育館わきには、かつて小学校と同居していた中学校の生徒たちがつくったというモルタル製の与一像が立っている。
ツルハシのような道具を手に岩肌に向かうその姿は、満足げな笑みを浮かべ、トンネルの出口をじっと見つめていた。
その足元の碑に記された信条には「自主、信念、奉仕」とあった。
三十年前、大股地区の人々は、永久に与一翁の偉業を記念しようと、二基の開削碑を一カ所にまとめて建立した。
ここは、与一翁が最後の切り通しを完成したところで、教育の森と命名され、在りし日の翁の遺徳をしのんでいる。






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Dr    大谷俊彦
イラスト  庄司暁子
デザイン 佐藤千香子

2004/6/13


OFUNATO SAITOSEIKA