辺辺

a sight of Kesen97

           
   

         

         


悲劇のヒーローとして知られる源義経がじつは平泉を密かに脱出し北方に逃れたという伝説は「義経北方コース」として観光ルートにまでなっている。
義経主従の逃亡ルートは気仙地方にもある。
伝説をだどると、平泉を密かに抜け出し大東町、江刺市を経て住田町に入った。
姥石峠(種山)から世田米、上有住、赤羽根へと山伝いを北上。
途中、上有住の葉山「めがね橋」の近くに義経が松にしがみつきながら崖をよじ登ったという「判官手がけの松」、気仙川のほとりには「弁慶の足あと」という巨大な“足跡”も残されている。
義経研究家の一人、堤貞倫氏が平成三年に著した「奥州義経秘録」(青磁社発行)によると、北方コースをたどったのは、じつは義経の影武者で『ホンモノの義経は“気仙の港”から船に乗り海路で八戸に逃亡した』ことになっている。
こうして追っ手を攪乱する「おとり作戦」は義経の得意とするところ。
中には影武者説とともに残置謀者説を唱える研究者も少なくない。
この残置謀者とは、逃亡ルートの峠筋や分岐点に張り付けるスパイのことでウソの情報を流したり後方からの情報を速やかに前線に伝える重要な役目を担っていた。
大股の「判官山」や日頃市の「黒森」(九カ森)など地名として残っている所もある。
住田から大船渡に抜ける「六郎峠」も義経の腹心亀井六郎の名にちなんだというから“気仙の港”とは大船渡か高田だったのでは?ということになる。
「判官びいき」ならぬ「気仙びいき」もここに極めりといったところか。



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2005/1/16


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